金沢観光では外せない人気のスポット、ひがし茶屋街。金沢に3つある茶屋街の中で一番広く、現在は通りに沿ってカフェやギャラリー、土産物店が軒を連ねています。これまでの金沢旅行で訪れたことがあるという方も多いと思います。
文政3年(1820)に加賀藩公認の「ひがしの廓」として形成された町割りがそのまま残る一帯は「東山ひがし伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
ひがし茶屋街の重伝建エリアに隣接して、武士が住んでいた御歩町、東山観音院の参道・観音町通り、およそ50もの古刹が残る卯辰山山麓寺院群という、趣の異なる街並みが広がっています。
このコラムでは、次のような方でも楽しめる、1キロほどの散策コースをご案内したいと思います。
- 以前ひがし茶屋街に行ったことがある方
- まち歩きが好きな方
- 写真を撮るのが好きな方
📍旧御歩町(塀に囲まれた武士の住まい)
📍観音町通り(直線的な観音院の参道、町家様式の商店)
📍ひがし茶屋街(花街、お茶屋建築)
📍卯辰山山麓寺院群(細く入り組んだ通りに寺社が点在)1キロ足らずの散策コースに4つの異なる町並みが隣接しており、好きな人は非常に楽しく過ごせます☺️ https://t.co/L1A6sj33kJ pic.twitter.com/VxNfXT7DCC
— 金沢市旅館ホテル協同組合☔️事務局 (@kanazawayado) July 4, 2024
浅野川にかかる梅ノ橋からスタート。金沢ふらっとバス「梅の橋」バス停すぐ、または、北陸鉄道バス、城下まち金沢周遊バス「橋場町」バス停から徒歩5分ほどのところにある橋です。
旧御歩町(おかちまち)区域
梅の橋を渡り、徳田秋聲記念館のある界隈は、かつて歩士(かち・騎乗が認められない武士)の組地であったことから、「御歩町(おかちまち)」と呼ばれていました。組地(くみち)とは、藩が指定した彼らの居住地域を指すそうです。武士としての身分は高くないものの、それそれが塀に囲まれた庭付きの家であることから、加賀藩の武士というのは恵まれた住環境にあったのだなあと思います。なお当時の武士の住まいは、原則として1階建てだったそうです。
なお、東京・山手線の駅の名前は「御徒町」ですが、こちらの地域は「御歩町」という字をあてます。界隈は、金沢市の条例により「こまちなみ 旧御歩町区域」に指定されています。
金沢市には、まちの歴史を色濃く残した町並みが残り、大きな魅力を担っています。市では、こうした「ちょっとした良い町並み」を、「こまちなみ」として守り、育て、その雰囲気を生かした風格あるまちづくりを推進しています。
歴史が香る”ちょっといい町”を守り育てる 金沢市こまちなみ保存条例
観音町通り
四万六千日の縁日で知られるお寺、観音院に続く真っすぐな道沿いの町を観音町といいます。元和2年に観音院が卯辰山から移されたとき、観音院から浅野川大橋までの道を拡張し、この通りを観音町と称したのがその起こりです。観音院には加賀藩のお姫様もお参りしましたので、通りやすいように真っすぐな道が整備されたと言われています。
旧御歩町の塀に囲まれた住宅と異なり、観音町通り沿いには町民の住まい・町家が軒を連ねています。通り沿いの商店は観音院のお参りに来る人で賑わったことでしょう。道を1本隔てただけで、武士が住んでいた界隈とはガラッと雰囲気が変わりますね。
観音町通りの中ほどにある「ひがし茶屋街休憩館」は江戸時代に建てられた町家を改装した建物で、どなたでも自由に中を見学できます。9時から5時までは観光ボランティアガイド「まいどさん」のメンバーの方が常駐されていますので、周辺の案内をお願いしたり、気になったことを質問したりしてみてください。
ひがし茶屋街はどこからどこまで?
およそ200年前の文政3年、それまでは城下町のあちこちにあった茶屋が集められたのが、ひがし茶屋街の起こりです。その際に町割りが整備され、今の一番丁、二番丁、三番丁の通りができました。
当時、下記の絵図のように塀で囲まれていたのが、現在の「東山ひがし伝統的建造物群保存地区」になります。
重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されているエリア内には、1階に「木虫籠(きむすこ)」と呼ばれる繊細な出格子を構え、2階は芸妓が舞を披露するため天井が高くなっている「茶屋様式」の建物が立ち並んでいます。先ほどの観音町の町家と茶屋建築の違いに注目してみるのもいいですね。
観音町に近いほうから一番丁、二番丁、三番丁の通りが平行に走り、それらを細い路地がつないでいます。それぞれの通りは少しずつ雰囲気が違いますので、記念写真を撮る時などお気に入りの場所を探してみてください。(画像はクリックで拡大できます)
かつては塀で囲まれていた廓の外に出ると、通り沿いのお店が出格子ではなくガラスになっているため、重伝建の外にいることがすぐに分かります。
厳密に言えば、このあたりはひがし茶屋街の外になるわけです。
卯辰山山麓寺院群
藩政期、加賀藩は城下町にあった寺社を三か所に集め、寺院群を形成しました。お城から見て鬼門の方角にあるのが、卯辰山山麓寺院群です。先ほどの観音院も寺院群の一角に含まれます。
ひがし茶屋街方面から宇多須神社の奥に進み、細く入り組んだ路地や坂道、山門からの眺めを楽しみましょう。(画像はクリックで拡大できます)
能登半島地震の影響で、一部土塀や階段などが損傷している個所があります。安全のため、立ち入り禁止の場所には入らない、手を触れないように気をつけましょう。
卯辰山山麓寺院群にはおよそ50ものお寺や神社があり、一度に全部を巡るのは難しいですが、複雑に入り組んだ路地を辿り階段を上り下りしながら山門やお庭を見てまわるのは楽しいものです。なお寺院群内は2キロほどの散策コースになります。
まとめ
意識して見比べると、門構えのある庭付き一戸建ての武家屋敷と、町民が住んだ町家や茶屋建築の違いがよく分かります。また寺院群のほうに足を延ばせば、地形に沿って複雑に入り組んだ路地を楽しめます。界隈には藩政期の町割りに築100年以上の建物がいくつも残っています。これらのエリアはすべて隣接しており、30分もあれば通り抜けられますが、半日ほどかけてじっくり歩くこともできます。
城下町の歴史を感じたくなったら、地域の方の生活に配慮しつつ、ぜひ茶屋街の周辺のエリアにも足を延ばしてみてください。